「ちみがそ」の宿題

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『グラン・トリノ』

 

グラン・トリノ

監督:クリント・イーストウッド

 

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劇中において、イーストウッドグラン・トリノを大事にするも、乗車したり実際に走るシーンがないのと同じような理由で、「殺し」が在り、「殺し」に憧れを持つも、「実行はされない」のではないか。グラン・トリノを見て、久しぶりにピカピカした車をかっこいいと思ったけど、「殺し」というのもそれだけ魅力的なものかもしれない。行為そのものの快楽といった意味ではなく、未来にひとつ多く可能性を与える行為として。だが、実際に「殺す」は行われないのだ。倫理の問題でも、宗教でもなく、ましては社会的制裁が待つからでもなく、RPGで言うところの「こうげき」「まほう」のような、ただ選択肢としての「殺す」が立ち行かなくなっている、その選択の先に未来の何も想像できないということ。「殺し」という手段は常にあっても「殺す」ことで選択される未来がまるで見えない、時として拠り所となる「殺す」がその有効性を失ってしまったのではないだろうか。「報復の連鎖」「暴力の歴史」が決して断ち切られないのは、何よりも「殺し」が有効であったから。だけどそれが永劫続くとは思えない。「殺し」を有効に思えない、複雑さの中に、或いは新しい時代に、足を踏み入れてるのではないか。そしてイーストウッドはそれに気付きながらも、何ら抗う(納得を持って向き合う)方法を見つけ出せていないように思う。例えば、行き場の無い窮屈さをまるで意に介さないようなモン族一家のたくましさや図太さ、錆びた街を歩く少年タオとチンピラ車の「遭遇し」「捕食される」しかないという生活圏の薄暗い堅牢さ、少年タオを絡め取ってそのまま引きずり込むような街路からの光景の無感動さ、それらのシーンのずっしりと映画に根付くようなリアリティ(私たちがいる場所の逃れ難い感触)を、クライマックスであるイーストウッドのあの行動からは感じることができなかったからだ。どこかそのシーンだけ現実感が無かった、まるで神の行いのような、後になって「あれは本当に起きたんだろうか」という幻想の、ある種の希薄さを持っていたように思う。私はその後駆けつけるタオと姉スーの表情と、それを確かめる若い神父の顔にこそ惹かれてしまう。それこそがあの街から生まれて、これからを覚悟させられるものであるから。

イーストウッドグラン・トリノに何故乗れないかは、もちろんそれが有効ではないから。では少年タオに引き継がれ、乗り手を手に入れたグラン・トリノは何を示すのか。これもまた老人の夢のように希薄であった。そう、すでに終わってるけど、これで終わりではないのではないか。

 

 

グラン・トリノ [Blu-ray]

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『イングロリアス・バスターズ』

 

 

イングロリアス・バスターズ

監督:クエンティン・タランティーノ

 

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その人が行くところに必ず殺人事件が起きるのが名探偵であるのならば、事件が起きるその場所に最初から最後まで居続ける人間もまた、名探偵で無いとは言い切れないだろう。死を運ぶ名探偵が必ずしも途中参加とは限らない。これから殺人が起きることを回避できない。つまり運命として殺人が起きることを「知って」いる者。ユダヤ・ハンターことランダ大佐もまた、その意味では名探偵ではないか。

いや彼だけじゃない。この映画であれば、名探偵が語り出さなければ殺人は現前しないように、暴力の到達を望む者達。殺しの光景までの過程。辿り着く為の全てを見せる映画そのもの。たとえば冒頭や中盤のスリリングな会話劇。或いは登場時の長いタメによってより深く印象付けられるイーライ・ロスのフルスイング。

では名探偵が立ち入ることができない殺人とは何であろうか。名探偵たちが知ることのできない殺人とは。おそらくそれは、人から生まれ、人から離れてしまった「殺人」である。

最終章。プレミア上映の夜。まさにクライマックスであるのだが、奇妙なことに、プレミア作戦を画策する者、その計画を知り阻止しようとする者、プレミア作戦に「意志」を持つ者はすべて途中退場している。ショシャナ(メラニー・ロラン)は直前で死んでしまうし、ブラッド・ピットは作戦決行の前に捕らえられ、別の場所に移されている。しかも邪魔するべきのランダ大佐は、作戦を知りながらも見過ごし、別のものに興味を移行させているのである。作戦実行者であるイーライ・ロスともう一人は、ブラッド・ピットを失うも自動で動く傀儡のようで、或いはまるで「前景化してきたモブ」の佇まいで(だがそこがひたすらにかっこいい)、またもうひとつの実行者である黒人男性は、少なくとも作戦に対する能動的意志は見られないし、恋人であるショシャナとの関係性だけで動いているように見える。何より彼を動かす合図は、「人」無き「フィルム」なのである。つまりショシャナとブラッド・ピットが放った傀儡のみが、皆殺しの光景を作り出しているのだ。

そこには狂騒に身を委ねるような快楽も、るつぼの中で死んでいく者達の無残さも無い。燃やせよ破壊せよと人無き者の声がただ響くだけ。そこでは「人」を置いて、ただ「皆殺し」が進む。

名探偵が立ち入ることができない殺人とは何であろうか。あるいは立ち入らない。名探偵が介入できない殺人とは。人の思考では及ばない場所(それは狂気でも乗り越えられない)、人という身体で運ぶには到底遂行できない場所、それはフィルムという不可逆性でもって始めてたどり着ける場所なのだという想像は容易い。実際には良くわからない。ただ下方から燃え散っていくスクリーンに映し出されるショシャナの悲しき高笑いは、永遠の時間を持ってしても、決して我々の手元へ収まることは無いのではないか。あの光景を、名探偵が知ったふうに語りだすことの出来ないように。

 

 

『ハンナ』

 

『ハンナ』

監督:ジョー・ライト 出演: シアーシャ・ローナン エリック・バナ ケイト・ブランシェット

 

 

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元CIA工作員の父にフィンランドの山奥で人知れず育てられた16歳の少女、ハンナ。幼い頃から格闘技をはじめあらゆる戦闘テクニックを叩き込まれ、ついにその戦闘能力は父をも凌ぐまでになっていた。そして、父のもとから旅立つことを決意したハンナ。父はそんな娘に、かつての同僚であるCIA捜査官マリッサに命を狙われる、“彼女に殺されるか、お前が殺すかだ”と忠告するのだが…。
<allcinema>


少女ハンナは、フィンランドの雪山で父親と暮らし、外界と関わることはない。殺人のプロとして育てられたハンナの日常は、狩猟やトレーニングが主だ。そこには静寂と、あるいは極めてシンプルな生活音しかない。また彼女にとって「音楽」とは本の知識でしかなく、いつか「音楽」に触れることを夢見ている。

音楽とは何か。組織された音。美しい和合。ときに感情を表現するもの。彼女は逃亡先ではじめて音楽に出会う。だが彼女が出会ったのはそれだけではない。街の喧騒の猥雑さもまた彼女がはじめて体験する「音」であった。文明が創り出した騒音にパニックとなり逃げ出す描写もあるが、特徴付けするまでもなく、雑踏に溶け込み掻き消されるはずの音が、クリアにひとつの音として自然と耳に残るような作りとなっている。これはおそらくもう一度観ないと確信は持てないのだが、そうした音が引き連れてくるようにして劇中音楽が重なってくるのである。雑踏の中に耳を澄ましていると、散在する独立して生まれたはずの音と音が組み合わさって「音楽」になるような錯覚といえば大袈裟すぎるが、それに近づこうとする意図を感じた。本の知識としての「音楽」には、喧騒やその他の騒音とを区切る確かな線引きがある。だが彼女の体験としてのそれに、はっきりと線を引けるだろうか。

喧騒を再構築せよ。彼女を知るには、雑踏に溺れて世界(音)を泳げよ。出来ないのならば、俺はハンナの何を知っているというのか。我々が捉えようとした彼女の表層は、単に見たいものを見ただけである。あるいは父親以外の人間に触れ世界を体験する彼女のさまざまな変化から彼女の内面を読み取るとき、我々にとって都合のいい誘導が行われていただけではないのか。誰もハンナを知れない。

ラストシーンの反復が決定的であるのだが、他でも、父親やアメリカ人の旅行一家とのやり取りの中に、思い返してみるとその行為や台詞の至る所に微かな違和感の残していたことがわかる。彼女の友情をありがとうという言葉は、友情というものが関係性ではなく、命を奪うことによって糧を得る彼女のこれまでの生き方と地続きの感覚として、例えば食料と等価であるようなものとして捉えているのではないか。

また父親や様々な人に助けられて彼女は追っ手から逃れられるのだが、彼女は、残された人々の行く末についての想像力が希薄ではなかったか。必死であるがゆえ思考が及ばないというのは当然かもしれないが、それ以上に、彼女は自分の後方に在るものに対しての感情が欠如しているように思える。彼女は、本能あるいは彼女の特殊な能力として、父親の死の瞬間を感じ取ったのかもしれないが、だがそこにわかり易い感情は読み取れなかった。ハンナとはいったい何者なのか。

父親は知りたい世界の一部だけしか与えてくれなかったので、彼女は勝手に走り去っていった。そんな単純な一文で完結してしまってもいい。彼女は自分のことを我々に容易には教えてくれないのだ。誰もハンナを知れない。

少女はタフだし、大人はずっと分からないままである。

 

 

『ダークナイト ライジング』

 

 

ダークナイト ライジング』

監督:クリストファー・ノーラン 出演:クリスチャン・ベール トム・ハーディ アン・ハサウェイ ジョセフ・ゴードン=レヴィット

 

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ベインの彼自身のマッチョさやそれまでの犯罪行為のシンプルな暴力性が、禍たらんとする清廉な悪意と、それが在ろうとするべき強靭さを見れたのだけど、スタジアム入場前の廊下で出番を待つ彼の、待つこと/確認することの僅かな時間・秩序に、(これはオチがわかってからの後付けかもしれないが)体現者ではなく遂行者としての憂いをみた気がした。それがとても色気があったのだ。ジョーカーの、世界を演じなければならないその絶望的なまでの渇きではなく、少し甘ったるい感触ではあったけれど。

やはりこの映画のピークは、予告編にもあったフィールドが落っこちて、ベインが科学者をポキッとやるとこまでだろう。『ダークナイト』がジョーカーが警察署を脱走するまでがピークだったように。同様に、オープニングが最高であるし。しかしながら、ゴッサム占拠からの流れは、あんまし良くない。あの流れで連想できる絶対見たい描写がことごとく微妙という。

だけども後半は、全体を多少犠牲にしても「バットマンが帰ってくること」の物語に重きを置いたんではないだろうか。3作のうち、作品自体は別にしてどのバットマンが好きかと言われれば、今作と答えるかも知れない。それは遂に今作でバットマンが、単なるシルエットの存在になりえたから。やっとブルース・ウェインの存在から切り離されたといっていい。これまでのゴッサムにあらわれる黒い影は、街の人間からすれば自警団気取りの犯罪者、あるいはスクリーンから見れば、黒の下に苦悩を隠す者であったはずだ。つまりは、黒を纏う「何か」は、「何か」であるからこそ重力のような逃れ得ない鈍重さを持たざるをえないのである。だがライジング終盤でのバットマンの、神出鬼没で好き勝手に飛び回る姿はどうだろう。その姿は、前作と変わらないはずなのに、あらゆる呪縛から解き放たれたかのように自由に見える。またはアクションシーンにおいても、まるでガジェット初登場時の「こいつが派手に動くことこそが正義」の方式が変わらず採用されているかのような、あるいは無数のパトカーを引き連れてしまった事体にどこか嬉々としているような身軽さで、終盤のそれは迷いなく吹っ切れている。(ご都合主義で勢いだけのアクション映画と揶揄されてしまうだけのものかもしれないが。)

キャットウーマンや熱血刑事のそれぞれに、シルエットは何を写すだろう。シルエットに何をみるのだろう。ブルース・ウェインもまた離れてはじめて、それと対峙できるのだ。「ヒーローがあらわれること」の超越性はこれまで(というより常に)、秩序は崩壊しうること/恐怖は否応無く訪れることの裏返しであったし、ブルース・ウェインバットマン自身がその事にとらわれていたのである。今作で「ヒーローがあらわれること」の事実性が、誰かの意志を試すもの、あるいは素直に見る者の希望に繋がっている事がうれしい。それには何よりもここまでの、これほどの過程が必要だったのである。ブルース・ウェインはようやく救われたのかもしれない。

 

 

 


The Dark Knight Rises - Official Trailer #2 [HD]

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

 

 

マッドマックス 怒りのデス・ロード』(原題:Mad Max: Fury Road)

監督: ジョージ・ミラー 出演:トム・ハーディシャーリーズ・セロンニコラス・ホルト

 

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あらすじ <allcinema>

石油も水も尽きかけ荒廃した世界。愛する家族を守れなかったトラウマを抱え、本能だけで生き長らえている元警官、マックス。ある日、資源を独占し、一帯を支配する独裁者イモータン・ジョー率いるカルト的戦闘軍団に捕まり、彼らの“輸血袋”として利用される。そんな中、ジョーの右腕だった女戦士フュリオサが反旗を翻し、ジョーに囚われていた5人の妻を助け出すと、彼女たちを引き連れ逃亡を企てたのだった。裏切りに怒り狂うジョーは、大量の車両と武器を従え、容赦ない追跡を開始する。いまだ囚われの身のマックスもまた、この狂気の追跡劇に否応なく巻き込まれていくのだったが…。

 

 

人間をモノとして扱う行為が、荒廃した世界で生き抜く為の合理的な方法であるならば。

私の知る現在のこの世界もまた「合理的」だったのではないのか。

「求める機能以外を発揮するな」と言ってしまえるのは、はたしてイモータン・ジョーの支配だけか。

 

モノからの逸脱こそが生の獲得だった。この映画はまさしく現在の物語でもある。

 

 

 

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フュリオサ(シャーリーズ・セロン

幼少期にさらわれ、ジョーの子産み女となり、幾度も逃亡を図るも失敗、おそらくそのせいで片腕を失う。その後はジョーの配下の大隊長として戦闘集団ウォーボーイズを引き連れるまでになっていたが、ずっと内には怒りを秘めていたのだろう、20年に及ぶ願いを果たすべく、幽閉されていたジョーの妻達と共に故郷「緑の地」を目指す。

原題であるFury Road(直訳:怒りの道)とは何か。誰の道か。分からないが、どんな困難であっても、(自分だけではない)どれだけ多くの祈りをその身に抱えていても、彼女は強く踏み出すことが出来る。突き進むことをおそれずに続けられる。その強い意思。20年間絶えることなかった怒りと共に。そう、これはきっと彼女の道。彼女の物語である。

 

 

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 マックス(トム・ハーディ

物語冒頭でいきなり捕まる。主人公であり、ウォーボーイズの「輸血袋」。ジョーを裏切ったフュリオサを追う為に駆り出されるウォーボーイズ達の「モノ」として、たまたまフュリオサ達の旅に出会ってしまう。半分は巻き込まれだけど、やがて自らの意思と生き抜く強さで、フュリオサを導いていく。

彼は自らの過去に起きた何かによって、亡霊にとらわれている(幻覚を見ている)。詳細は分からないが、彼からフュリオサへの「希望は持つな、心が壊れた先にあるのは狂気だけだ」という言葉から、彼がかつて生き抜く以外の願いを持っていたことが分かる。フュリオサを導くことが、自らの何かを取り戻すことでもあるという、これは彼の旅でもあった。

 

 

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始まり:ウォー・タンクと共に出発

ガスタウンへと向かう取引当日。「緑の地」を目指す逃亡計画。フュリオサが初めて登場するシーンは、大隊長として現れる。堂々たる戦士としての後ろ姿で。そして首元にはジョーの焼印。この場面のフュリオサが素晴らしい。きっともうここから絶対に折れることはないと「決まって」いたのだ。向けられる暴力に怯まず進み、向けられる祈りに押し潰されて立ち止まることもしない。打ち砕かれ傷付いた心はあるが、対峙するものに決して内側はみせない。不確実な未来に絶望もしない。選択肢と燃料がある限り、求め続ける。

事の起こりも、始まりの怒りも、混沌の中にあってもはやそれだけを取り出す事は出来ない。もう既に「始まった」世界で、覚悟も過去も装填済みなのがフュリオサなのだ。物語はいつも途中。映画は唐突でいい、世界がそうであるように。

或いは、モノであることの信仰の有無がウォーボーイズとジョーの妻たちの違いならば、生存の対価としてモノであったはずの幼きフュリオサは、どのようにして大隊長になったのだろうか。そこには見えない物語がある。止まることのないウォー・タンク。もしかしたらアクションとは「見えない物語」を運んでくるものではないか。

 

 

折り返し:静寂の夜

フュリオサとマックスの共闘、そしてウォーボーイズだったニュークスも仲間に加わり、なんとかジョー達の追手から逃れることができる。そしてフュリオサの故郷の仲間である「鉄馬の女」達と出会う。故郷「緑の地」はすでに失われていた。フュリオサの咆哮。それぞれの夜。

約束の地はなかった。それでもフュリオサは、その日の夜に、次に何をすべきかを決意してみせる。誰かの決死を多く抱えて、何も果たされず虫ケラの様に死なせてしまうかもしれないのに、荒野を渡ることなど出来るのだろうか。変わることのない過去達がいつだって未来を塞いで見えなくしている。それでも彼女は迷いなく決意する。まるで私達が手放してしまったものが、まだ彼女の中にはあるように。かつての逃亡の失敗のあとにも、幾つもの夜が訪れたように。それは静寂の夜の如く、何度だって。

 

 

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再び:イモ―タン・ジョーの砦へ

「緑の地」は失われていた。さらに遠く塩の湖を超えて、生きていける大地を探す。あてのない旅に向かおうとするフュリオサに対しマックスは、あなたの故郷はここだとジョーの砦を指す。砦の奪取こそが、行くべき道。まるで黒沢清トウキョウソナタ』(2008年)で、母親の小泉今日子が逃亡の先の海で「不在」を見たように。塩の湖と夜の海。砦と家庭。行き着く果てに「不在」を見つめて、行くべき道は「帰路」であると知る。

来た道を戻る。ジョーの部隊が襲い掛かる。それぞれの決死。フュリオサは傷を負う。仲間のひとりは奪われ、エンジンは壊れかけている。絶体絶命の中でフュリオサは「見る」のだ。それは状況の把握でもあるが、きっと自らが背負っているもの、手にしているものを見つめる為に。ゆっくりと。眼差しの先。彼女はそのひとつひとつを確かめ、屈することの無い力を再び点す。決して手放しはしない怒りと共に。

 

  

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帰還:終わりと始まり

お前を殺そうとするもの、お前を従わせようとするものに立ち向かえる力とは何か。全てを削ぎ落とされて、それでも残る力の根源とは何か。モノであることからの帰還。きっとこのラストシーンの先にあるのは、新たな苦しみだろう。資源、統治、外敵。だが当然だ。アルフォンソ・キュアロンゼロ・グラビティ』のように、これは「始まり」に帰還する映画なのだから。 フュリオサや妻たちは「始まり」に帰還する。あるいはニュータスもそうかもしれない。モノから逸脱し、生を獲得するまでの旅。

はたしてフュリオサはあの砦を統治できるのだろうか。どんな未来だって考えられる。だけどサンドラ・ブロックが大地を踏みしめた時「この先もツライかもよ」なんて言う奴はいない。私達はいつだって未来に恐怖している。それは当然のことである。

 

 

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この世界で

イモータン・ジョーの世界(確定的で、使命を得る=答えがある場所)と、フュリオサの世界(不確定で、欲望を持つ=答えの無い場所)の間を行き来し、絶えず揺れていたのがマックスとニュークス。イモータン・ジョーの世界を殺して(否定して)、はじめてマックスは自分の名を告げることができたのではないか。

母の前で産声を上げるように。ケイパブルを見つめて「俺を見ろ」と言うニュークス。フュリオサに自分の名前を告げるマックス。あるいは母達とは新しい世界で、男達とはそこに生きる者達の事かもしれない。どんな場所に生まれ落ちても、俺は生まれたと私達は叫べるのだ。

 

 

 

 

 

『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』考察 @UbuHanabusa - Togetter

マッドマックス 怒りのデス・ロード/電光石火に銀の霧: 傷んだ物体/Damaged Goods

(後半)モーニング娘。2018春ツアー【全曲感想】

 

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モーニング娘。誕生20周年記念コンサートツアー2018春

~We are MORNING MUSUME。~

 

2018年5月19日(土)NHK大阪ホール 夜公演。

全曲感想の後半。

 

1曲目〜10曲目はこちら。 sportmax06.hatenablog.com

 

 

11曲目『通学列車』(生田・佐藤・野中・牧野・羽賀・横山・加賀)

 

中盤にいつもあるフレッシュ枠。

【今日も逢えるかな 通学途中 彼に逢えるかな いつもかわいいスニーカーを履いている人】という歌詞の素晴らしさ。

 

12曲目『純LOVER』(譜久村・飯窪・石田・小田・尾形・森戸)

 

この曲の好きな部分、というかこの曲に対して「好き」が確定する部分は、【純LOVER】という短いフレーズが過ぎ去っていく時なので、聴き逃しちゃいけない。たしかふくちゃんだったかな。潤いと安心を与えてくれる。

 

13曲目『Hand made CITY』

 

前ツアーの『THEマンパワー‼』を思い出さずにはいられない、小田とまーちゃんの応酬。『THEマンパワー‼』での二人には、まるで生命とは過剰であり、技術とは未来を見知る為の当てのない手段なのだと示すかのように、うねりと原初感があったけれど、『Hand made CITY』は直線的でアグレッシブ。単純にかっこいいし、スノッブを家に置いて出かけられる数少ないコンサートのひとつであるハロプロでやはり輝ける曲だと思った。

 

14曲目『愛され過ぎることはないのよ』

 

サビである【愛が愛が愛があるから 生きて行けるの】の冷静と情熱、そのかっこよさを味わうことができてよかった。「愛」という言葉を重ねるほどに執着しながらも、「生きて行けるの」では(だって当然だろうと言うくらいの自明さで)惰性を厭わない、気負わない、諦観とはまた別の安穏すらあるのが良い。

 

15曲目『なんにも言わずにI LOVE YOU』(生田・石田・小田・牧野・羽賀・加賀・森戸)

 

何が起きたのか定かではない歌詞。歌詞の(文字数としての)情報量は少なく、また、一方だけで行き来する会話を聞くように断片的。【ねえいつでもそんなに優しいの?でね あの日の涙はマジなの?】とは何のことだろう。或いは【ねえ誰かに聞いたわあなたのこと でも直接聞くまで信じない】からの【なんにも言わずにこれからも大切にしてね なんにも言わずにこれからも これからもI LOVE YOU】は、ほぼ呪いではないかと言われても私は否定できるだろうか。でもそんな曲を、まるでの『Be Alive』のように歌う。【いつか笑いの絶えない自由な時代が嫌なことなど吹き飛ばすさ 君を悲しくさせない時代】のあの歌。あの瞬間の希望に満ちたステージのように歌う。
たとえ私のもとからは離れてしまっても(あらかじめ近づいてもいなかったとしても)、あなたはあなたのままその優しいまなざしで、世界を見ていてくれないか。やはり歌詞のことは分からないけれど、例えばそんなことを歌っているのではないかと思えた。「私」の不在の歌。だけどそこには『Be Alive』のような願いがあった気がした。

 

16曲目:アンケートメドレー

One・Two・Three』〜『泡沫サタデーナイト!』〜『わがまま 気のまま 愛のジョーク』〜『みかん』〜『What is LOVE?』

 

16-2『泡沫サタデーナイト!

 

コンサートの後半だからか、或いは演じながら同時に(挑むにはどうしたって生身さを示してしまう)アスリートのような姿を見せてくれたからか、どうしてもこれは「泡沫」であって「泡沫」じゃないと思えてくる。過去と未来から切り離した一瞬の狂騒ではなく、これは昨日までの努力が辿り着いた明日への情熱なんだって分かるから。

永遠に続く歓喜をこの場所に作ろう。私達はきっとここを離れてどこかへ行く。だけど振り返ればいつでもある場所をここに作ろう。確かに歓喜はあったのだ。絶え間なく続く日常の様に、私達は確かにここに繋がっているのだ。


16-5『What is LOVE?』

 

(メドレーであるから)前の曲が別の何かになろうとする音を聴きながら、次の曲を待っている。それは唐突に判明し、譜久村【たった一人を納得させられないで世界中口説けるの】のただ一人から始まり、その間、他の音は減らされている。少しの静寂(もしくはただの音の隙間で私の錯覚だろうか)のあと、「あらかじめの楽曲」が音を引かれて書き換えられたように、ここからは書き加えられる。まーちゃんの煽り。会場とメンバーのボルテージを上げる、この瞬間の為だけに与えられた言葉。歌詞ではない言葉。そしてすぐさま「あらかじめの楽曲」が再び始まる。
この数十秒間、めちゃ良かった。なにより、まーちゃんの煽りと、「あらかじめの楽曲」の再現(つまり音楽性)と、それぞれから私の中に与えられたものは、はたして違いはあったのだろうかということ。私の知る音楽と、まーちゃんのそれに線を引くものとは何かという新たな疑問。刺激的な時間だった。

 

17曲目『SEXY BOY』

 

発売当時を知らないけれど、その始まりから可笑しさのあった曲は、一体何が変わったというのか。いやただ時代だけが気まぐれに変わっただけなのだ。この曲から受け取るものは少しも変わっていない。現在が何年だろうが鳴り出してしまえば、つんくという作家の強さを証明してしまう。

 

18曲目『ラブ&ピィ~ス!HEROがやって来た』

 

ステージを観ているのが楽しい。【大好きよ 超大好きよ】、それがただ純粋に響くように、この空間を愛することに遠慮や躊躇いを忘れてしまっていた。

 

19曲目『ジェラシージェラシー』

 

アンコール前の最終曲。意外だったけど、「これが私達の新たなスタンダードですので」と宣言するかのようで頼もしかった。『One・Two・Three』や『What is LOVE?』のような爆発力はないけど、今の彼女達の重厚と優雅を放つ、ラストに相応しい曲。きっとここからどこにでも行けるだろう。どこでも行ける力とは、どこでも行ける意思である様に。限界に安堵してしまえる弱さは彼女達にきっとないのだ。何かになろうとする意思に貫かれる、とても美しい曲だった。

 

20曲目『Are you happy?』(新曲)

 

すごい好きだから、すごく悲しい。

一緒にいた後は、不安しかない。

1曲目で披露した新曲『A gonna』、アンコール後にもう一つの新曲として『Are you happy?』。

『A gonna』よりも更に挑戦的な楽曲だ。晒された自らの感情に対し、私はあまりに臆病で、心許ないままでいる。「ここに達したら終わり」というのはきっとないのだ。愛のエゴはそのまま、気まぐれはいつだって未来を襲い、あなたという混沌は剥き出しのままである。打ち鳴らされ、舞いながら、根源が呼び覚まされていく。一方で、寄る辺ない不安も膨れていく。その混沌の感覚が、彼女達の覚悟と、願いの先がどんな場所にあるかを知らせてくれる。共振の興奮と恐怖と共に。

 

21曲目『青空がいつまでも続くような未来であれ!

 

【長い長いこの地球に歴史がある 少しだけどこの私も一部だわ】とか【心を素直に叶えようよ興味あることからでも 愛があれば美しいでしょ!】の歌詞が本当に好き。 優れた歌詞とは何か?という問いがもしあるとするなら、その答えのひとつは、ずっと言ってほしかった言葉だけどずっと気付けなかった言葉であると思う。「愛があれば美しいでしょ!」なんて、どれほど素晴らしいか。

 

 

 

 

以上、めちゃ楽しいコンサートでした。(こんなすごいのにステージ以外ではこれだぜ)

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Are you Happy?/A gonna(初回生産限定盤SP)(DVD付)

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モーニング娘。'16『泡沫サタデーナイト!』(Morning Musume。'16[Ephemeral Saturday Night]) (Promotion Edit)

 


モーニング娘。'14 『What is LOVE?』 (MV)

 


モーニング娘。'17『ジェラシー ジェラシー』(Morning Musume。'17[Jealousy Jealousy])(Promotion Edit)

 

(前半)モーニング娘。2018春ツアー【全曲感想】

 

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モーニング娘。誕生20周年記念コンサートツアー2018春

~We are MORNING MUSUME。~

 

2018年5月19日(土)NHK大阪ホール 夜公演。

全曲感想の前半。

 

 

1曲目『A gonna』(新曲)

 

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不敵さは重厚を、覚悟はミニマムを与えながら、これはきっと未来を目指す彼女達が掴んだ新たなフォルム。『インターステラー』の主人公は「ノスタルジーは慣れない」と言っていたけれど、どうしようもなく今があり、過去じゃない、今の自分を見つめ得ること。直面する全てに【さあどんな挑戦を受けるかA gonna(えーがな)】のあっけらかんとした強さを。

幕開けから挑戦的な新曲、だけど間違いなく名曲で、【未来へ未来へ未来へアップデート】のところで思わず泣きそうになる。これは多分『青春小僧が泣いている』が眺めていた黄昏の、さらにその先(の景色への願い)ではないのか。私達の時代と終わり。私達は、どこから来たのかを知るように、このまま進んでいく先の「終わり」もまた知るだろう。その「終わり」を突き抜けるように、まるでファンタジーのような想像を、持てる全てを未知に向けられる創造を、私はきっと彼女達に願っている。


2曲目『ロマンスに目覚める妄想女子の歌』

 

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まーちゃんの解釈による【抱きしめた後に口付けて 逃げるからその後すぐに追いかけて】の切実さと少しの痛みがとても良かった。この言葉は多分、ただ単にシチュエーションを求めているだけではないのだろう。あなたの想像はあなただけのもの。それはあなたの未来の為に、誰にも奪わせてはいけない唯一のもの。だから切実に歌い得るのだ。ロマンスは偉大さ。


3曲目『Fantasyが始まる』

 

道重さゆみパートを引き継ぐ牧野真莉愛。当然として道重さゆみ牧野真莉愛はまったく違うことが分かる。だけれど牧野真莉愛がトレースすることによって、お互いのパフォーマンスが発していた攻撃性、それぞれが世界にどう挑発し得ていたかが、くっきりと浮かび上がってきた気がした。面白い。そして牧野真莉愛の完成形はまだ見えない。まだまだこれからがきっと面白い。


4曲目『青春Say A-HA』

 

変化と歴史とこれからと。戸惑いと願いと見果てぬものの渦中にいる、まさに彼女達の現在。そのめまぐるしさの中を、例えば【少々まとまった顔立ち】という始まりのソリッドから、【まっすぐ生きるってなんか難しい】の青春らしさまで、自由に行き来してしまう。彼女達の強さ。間奏明け、荒ぶる魂を束ねるようにユニゾンで突入していくのが【コソコソ恋愛(LOVE)っての何か燃えるけど バレなきゃいいってそんな意味でもない】なのが、とても奇妙でいて、やはり青春の最中なのだ。

 

5曲目『Password is 0

  

「what goes around comes around」ミーツ譜久村聖の2018年バージョン。良い。

 

6曲目『花が咲く 太陽浴びて』

 

フォーメーションダンスにあまり興味がなかったけど、人間が蠢くことによって形作られる花の姿が、美しくも不気味だった。練度を上げるほど奇妙になる楽曲では。

 

7曲目『Help me‼︎』

 

夢見るだけじゃ簡単さ

全身で答えてよ

口約束はNO Thank you

住みやすい国(とこ)にしてよ

 

『Help me!!』 モーニング娘。

 

ただ待っているだけの女の子の歌が、何故こんなにもかっこいいのか。何度も観てきた定番曲だけど本当にかっこよかった。世界が劇的に変わる事を待っている。だけどきっとただ受身なわけじゃない。自らの願いを解放し「世界よ呼応せよ」と歌っているのだ。【諦めちゃ負けを認めちゃう それだけは出来ないの】と歌うのが良い。待つ者達の夢。世界が呼応しなければそれは見ることはできないが、諦めはしない。自分を信じて、世界を信じている。

 

8曲目『愛の軍団』

 

【世間を知らず 街を飛び出し】の時の小田ちゃんのアクセントを観察しているけど(前回のツアーが最高だった)、少し落ち着いた印象。もっとごりごりにいってほしいけど、私には分からない彼女なりの新しい課題がありそうなので、何も言わずに観続けるしかない。

  

9曲目『モーニングコーヒー(20th Anniversary Ver.)』

 

速い。でも慣れた。

 

10曲目:ユニットメドレー

『シャニムニパラダイス』~『レモン色とミルクティ』~ 『トキメクトキメケ』~『INDIGO BLUE LOVE』~『坊や』~『大人になれば大人になれる』

 

10-1 『シャニムニパラダイス』(小田・羽賀・加賀・森戸)

 

あのコミカルな振り付けと森戸が合わさることの絶対的価値が全てを持っていくので言うことがもうない。と思っていたがトゥルトゥルトゥルのコーラス部の陽気さにやはり泣けてしまう。

 

楽しい楽しい夏休み

ずっとずっとしたかった夢がある UH

楽しい楽しい夏休み

遮二無二(しゃにむに)LET'S GO!

パラダイス

遮二無二(しゃにむに)LET'S GO!

パラダイス

 

シャニムニ パラダイス』 モーニング娘。

 

約束の場所がずっとあったのだ。誰のもとにも必ずやってきて、迎え撃つように自らの願いをぶつけなきゃ嘘だって思えた時間があったってこと。私は忘れすぎていた。そんな無敵さがやはり目の前にはあったのだ。

 

10-2『トキメクトキメケ』(譜久村・生田・飯窪・石田)

 

これもめちゃ良かった。年長組4人による、ルーキー達にはない「固ゆで」のクオリティ。酸いも甘いも知った者たちの、或いはこの場所を最も長く知る者たちの手堅さそのもので見せてくれる、カラフルでくどいほどのスイート。4人のキャラクターも、それぞれが与えてくれるものも、はっきりしていて安心してしまう。不確実な未来への淡い期待などいらない。そんなものは与えてやらない。この今にもう全部用意してやるのさというような、曖昧のなさと、だからこそ分かる強さや優しさがある気がして、かっこよかった。

 

10-5『坊や』(譜久村・飯窪・佐藤・尾形・牧野)

 

個人的に待望の曲。この時期の曲を聞くと、何故かざらついた気分になる。当時の熱狂を思い出してなのか、曲自体の妖しさなのか。だけど道重のコーラスが強すぎるので、完全体のアップデートを早く観たいとも思った。あと10-5から10-6の繋ぎ方がめちゃ良かった。

  

10-6『大人になれば大人になれる』(生田・石田・佐藤・野中・横山)

 

パフォーマンスの必然として、自らの獰猛を隠さない。今回のツアーのまーちゃんはまるでそんなテーマで動いているかのよう。自らが触れ得る芸術の為に。或いは願いの形を凶悪なほどに体現し得る為に。とにかく最初のパートを歌うまーちゃんがめちゃかっこいいから観て。めちゃ観てくれ。

 

 

 

前半はここまで。後半へ続く。

 

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モーニング娘。 『愛の軍団』(Morning Musume。["GUNDAN" of the love]) (MV)