(後半)モーニング娘。2018春ツアー【全曲感想】
モーニング娘。誕生20周年記念コンサートツアー2018春
~We are MORNING MUSUME。~
2018年5月19日(土)NHK大阪ホール 夜公演。
全曲感想の後半。
1曲目〜10曲目はこちら。 sportmax06.hatenablog.com
11曲目『通学列車』(生田・佐藤・野中・牧野・羽賀・横山・加賀)
中盤にいつもあるフレッシュ枠。
【今日も逢えるかな 通学途中 彼に逢えるかな いつもかわいいスニーカーを履いている人】という歌詞の素晴らしさ。
12曲目『純LOVER』(譜久村・飯窪・石田・小田・尾形・森戸)
この曲の好きな部分、というかこの曲に対して「好き」が確定する部分は、【純LOVER】という短いフレーズが過ぎ去っていく時なので、聴き逃しちゃいけない。たしかふくちゃんだったかな。潤いと安心を与えてくれる。
13曲目『Hand made CITY』
前ツアーの『THEマンパワー‼』を思い出さずにはいられない、小田とまーちゃんの応酬。『THEマンパワー‼』での二人には、まるで生命とは過剰であり、技術とは未来を見知る為の当てのない手段なのだと示すかのように、うねりと原初感があったけれど、『Hand made CITY』は直線的でアグレッシブ。単純にかっこいいし、スノッブを家に置いて出かけられる数少ないコンサートのひとつであるハロプロでやはり輝ける曲だと思った。
14曲目『愛され過ぎることはないのよ』
サビである【愛が愛が愛があるから 生きて行けるの】の冷静と情熱、そのかっこよさを味わうことができてよかった。「愛」という言葉を重ねるほどに執着しながらも、「生きて行けるの」では(だって当然だろうと言うくらいの自明さで)惰性を厭わない、気負わない、諦観とはまた別の安穏すらあるのが良い。
15曲目『なんにも言わずにI LOVE YOU』(生田・石田・小田・牧野・羽賀・加賀・森戸)
何が起きたのか定かではない歌詞。歌詞の(文字数としての)情報量は少なく、また、一方だけで行き来する会話を聞くように断片的。【ねえいつでもそんなに優しいの?でね あの日の涙はマジなの?】とは何のことだろう。或いは【ねえ誰かに聞いたわあなたのこと でも直接聞くまで信じない】からの【なんにも言わずにこれからも大切にしてね なんにも言わずにこれからも これからもI LOVE YOU】は、ほぼ呪いではないかと言われても私は否定できるだろうか。でもそんな曲を、まるでの『Be Alive』のように歌う。【いつか笑いの絶えない自由な時代が嫌なことなど吹き飛ばすさ 君を悲しくさせない時代】のあの歌。あの瞬間の希望に満ちたステージのように歌う。
たとえ私のもとからは離れてしまっても(あらかじめ近づいてもいなかったとしても)、あなたはあなたのままその優しいまなざしで、世界を見ていてくれないか。やはり歌詞のことは分からないけれど、例えばそんなことを歌っているのではないかと思えた。「私」の不在の歌。だけどそこには『Be Alive』のような願いがあった気がした。
16曲目:アンケートメドレー
『One・Two・Three』〜『泡沫サタデーナイト!』〜『わがまま 気のまま 愛のジョーク』〜『みかん』〜『What is LOVE?』
16-2『泡沫サタデーナイト!』
コンサートの後半だからか、或いは演じながら同時に(挑むにはどうしたって生身さを示してしまう)アスリートのような姿を見せてくれたからか、どうしてもこれは「泡沫」であって「泡沫」じゃないと思えてくる。過去と未来から切り離した一瞬の狂騒ではなく、これは昨日までの努力が辿り着いた明日への情熱なんだって分かるから。
永遠に続く歓喜をこの場所に作ろう。私達はきっとここを離れてどこかへ行く。だけど振り返ればいつでもある場所をここに作ろう。確かに歓喜はあったのだ。絶え間なく続く日常の様に、私達は確かにここに繋がっているのだ。
16-5『What is LOVE?』
(メドレーであるから)前の曲が別の何かになろうとする音を聴きながら、次の曲を待っている。それは唐突に判明し、譜久村【たった一人を納得させられないで世界中口説けるの】のただ一人から始まり、その間、他の音は減らされている。少しの静寂(もしくはただの音の隙間で私の錯覚だろうか)のあと、「あらかじめの楽曲」が音を引かれて書き換えられたように、ここからは書き加えられる。まーちゃんの煽り。会場とメンバーのボルテージを上げる、この瞬間の為だけに与えられた言葉。歌詞ではない言葉。そしてすぐさま「あらかじめの楽曲」が再び始まる。
この数十秒間、めちゃ良かった。なにより、まーちゃんの煽りと、「あらかじめの楽曲」の再現(つまり音楽性)と、それぞれから私の中に与えられたものは、はたして違いはあったのだろうかということ。私の知る音楽と、まーちゃんのそれに線を引くものとは何かという新たな疑問。刺激的な時間だった。
17曲目『SEXY BOY』
発売当時を知らないけれど、その始まりから可笑しさのあった曲は、一体何が変わったというのか。いやただ時代だけが気まぐれに変わっただけなのだ。この曲から受け取るものは少しも変わっていない。現在が何年だろうが鳴り出してしまえば、つんくという作家の強さを証明してしまう。
18曲目『ラブ&ピィ~ス!HEROがやって来た』
ステージを観ているのが楽しい。【大好きよ 超大好きよ】、それがただ純粋に響くように、この空間を愛することに遠慮や躊躇いを忘れてしまっていた。
19曲目『ジェラシージェラシー』
アンコール前の最終曲。意外だったけど、「これが私達の新たなスタンダードですので」と宣言するかのようで頼もしかった。『One・Two・Three』や『What is LOVE?』のような爆発力はないけど、今の彼女達の重厚と優雅を放つ、ラストに相応しい曲。きっとここからどこにでも行けるだろう。どこでも行ける力とは、どこでも行ける意思である様に。限界に安堵してしまえる弱さは彼女達にきっとないのだ。何かになろうとする意思に貫かれる、とても美しい曲だった。
20曲目『Are you happy?』(新曲)
すごい好きだから、すごく悲しい。
一緒にいた後は、不安しかない。
1曲目で披露した新曲『A gonna』、アンコール後にもう一つの新曲として『Are you happy?』。
『A gonna』よりも更に挑戦的な楽曲だ。晒された自らの感情に対し、私はあまりに臆病で、心許ないままでいる。「ここに達したら終わり」というのはきっとないのだ。愛のエゴはそのまま、気まぐれはいつだって未来を襲い、あなたという混沌は剥き出しのままである。打ち鳴らされ、舞いながら、根源が呼び覚まされていく。一方で、寄る辺ない不安も膨れていく。その混沌の感覚が、彼女達の覚悟と、願いの先がどんな場所にあるかを知らせてくれる。共振の興奮と恐怖と共に。
21曲目『青空がいつまでも続くような未来であれ!』
【長い長いこの地球に歴史がある 少しだけどこの私も一部だわ】とか【心を素直に叶えようよ興味あることからでも 愛があれば美しいでしょ!】の歌詞が本当に好き。 優れた歌詞とは何か?という問いがもしあるとするなら、その答えのひとつは、ずっと言ってほしかった言葉だけどずっと気付けなかった言葉であると思う。「愛があれば美しいでしょ!」なんて、どれほど素晴らしいか。
以上、めちゃ楽しいコンサートでした。(こんなすごいのにステージ以外ではこれだぜ)
Are you Happy?/A gonna(初回生産限定盤SP)(DVD付)
- アーティスト: モーニング娘。'18
- 出版社/メーカー: UP FRONT WORKS Z = MUSIC =
- 発売日: 2018/06/13
- メディア: CD
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モーニング娘。'16『泡沫サタデーナイト!』(Morning Musume。'16[Ephemeral Saturday Night]) (Promotion Edit)
モーニング娘。'14 『What is LOVE?』 (MV)
モーニング娘。'17『ジェラシー ジェラシー』(Morning Musume。'17[Jealousy Jealousy])(Promotion Edit)
(前半)モーニング娘。2018春ツアー【全曲感想】
モーニング娘。誕生20周年記念コンサートツアー2018春
~We are MORNING MUSUME。~
2018年5月19日(土)NHK大阪ホール 夜公演。
全曲感想の前半。
1曲目『A gonna』(新曲)
不敵さは重厚を、覚悟はミニマムを与えながら、これはきっと未来を目指す彼女達が掴んだ新たなフォルム。『インターステラー』の主人公は「ノスタルジーは慣れない」と言っていたけれど、どうしようもなく今があり、過去じゃない、今の自分を見つめ得ること。直面する全てに【さあどんな挑戦を受けるかA gonna(えーがな)】のあっけらかんとした強さを。
幕開けから挑戦的な新曲、だけど間違いなく名曲で、【未来へ未来へ未来へアップデート】のところで思わず泣きそうになる。これは多分『青春小僧が泣いている』が眺めていた黄昏の、さらにその先(の景色への願い)ではないのか。私達の時代と終わり。私達は、どこから来たのかを知るように、このまま進んでいく先の「終わり」もまた知るだろう。その「終わり」を突き抜けるように、まるでファンタジーのような想像を、持てる全てを未知に向けられる創造を、私はきっと彼女達に願っている。
2曲目『ロマンスに目覚める妄想女子の歌』
まーちゃんの解釈による【抱きしめた後に口付けて 逃げるからその後すぐに追いかけて】の切実さと少しの痛みがとても良かった。この言葉は多分、ただ単にシチュエーションを求めているだけではないのだろう。あなたの想像はあなただけのもの。それはあなたの未来の為に、誰にも奪わせてはいけない唯一のもの。だから切実に歌い得るのだ。ロマンスは偉大さ。
3曲目『Fantasyが始まる』
道重さゆみパートを引き継ぐ牧野真莉愛。当然として道重さゆみと牧野真莉愛はまったく違うことが分かる。だけれど牧野真莉愛がトレースすることによって、お互いのパフォーマンスが発していた攻撃性、それぞれが世界にどう挑発し得ていたかが、くっきりと浮かび上がってきた気がした。面白い。そして牧野真莉愛の完成形はまだ見えない。まだまだこれからがきっと面白い。
4曲目『青春Say A-HA』
変化と歴史とこれからと。戸惑いと願いと見果てぬものの渦中にいる、まさに彼女達の現在。そのめまぐるしさの中を、例えば【少々まとまった顔立ち】という始まりのソリッドから、【まっすぐ生きるってなんか難しい】の青春らしさまで、自由に行き来してしまう。彼女達の強さ。間奏明け、荒ぶる魂を束ねるようにユニゾンで突入していくのが【コソコソ恋愛(LOVE)っての何か燃えるけど バレなきゃいいってそんな意味でもない】なのが、とても奇妙でいて、やはり青春の最中なのだ。
5曲目『Password is 0』
「what goes around comes around」ミーツ譜久村聖の2018年バージョン。良い。
6曲目『花が咲く 太陽浴びて』
フォーメーションダンスにあまり興味がなかったけど、人間が蠢くことによって形作られる花の姿が、美しくも不気味だった。練度を上げるほど奇妙になる楽曲では。
7曲目『Help me‼︎』
夢見るだけじゃ簡単さ
全身で答えてよ
口約束はNO Thank you
住みやすい国(とこ)にしてよ
『Help me!!』 モーニング娘。
ただ待っているだけの女の子の歌が、何故こんなにもかっこいいのか。何度も観てきた定番曲だけど本当にかっこよかった。世界が劇的に変わる事を待っている。だけどきっとただ受身なわけじゃない。自らの願いを解放し「世界よ呼応せよ」と歌っているのだ。【諦めちゃ負けを認めちゃう それだけは出来ないの】と歌うのが良い。待つ者達の夢。世界が呼応しなければそれは見ることはできないが、諦めはしない。自分を信じて、世界を信じている。
8曲目『愛の軍団』
【世間を知らず 街を飛び出し】の時の小田ちゃんのアクセントを観察しているけど(前回のツアーが最高だった)、少し落ち着いた印象。もっとごりごりにいってほしいけど、私には分からない彼女なりの新しい課題がありそうなので、何も言わずに観続けるしかない。
9曲目『モーニングコーヒー(20th Anniversary Ver.)』
速い。でも慣れた。
10曲目:ユニットメドレー
『シャニムニパラダイス』~『レモン色とミルクティ』~ 『トキメクトキメケ』~『INDIGO BLUE LOVE』~『坊や』~『大人になれば大人になれる』
10-1 『シャニムニパラダイス』(小田・羽賀・加賀・森戸)
あのコミカルな振り付けと森戸が合わさることの絶対的価値が全てを持っていくので言うことがもうない。と思っていたがトゥルトゥルトゥルのコーラス部の陽気さにやはり泣けてしまう。
楽しい楽しい夏休み
ずっとずっとしたかった夢がある UH
楽しい楽しい夏休み
遮二無二(しゃにむに)LET'S GO!
パラダイス
遮二無二(しゃにむに)LET'S GO!
パラダイス
約束の場所がずっとあったのだ。誰のもとにも必ずやってきて、迎え撃つように自らの願いをぶつけなきゃ嘘だって思えた時間があったってこと。私は忘れすぎていた。そんな無敵さがやはり目の前にはあったのだ。
10-2『トキメクトキメケ』(譜久村・生田・飯窪・石田)
これもめちゃ良かった。年長組4人による、ルーキー達にはない「固ゆで」のクオリティ。酸いも甘いも知った者たちの、或いはこの場所を最も長く知る者たちの手堅さそのもので見せてくれる、カラフルでくどいほどのスイート。4人のキャラクターも、それぞれが与えてくれるものも、はっきりしていて安心してしまう。不確実な未来への淡い期待などいらない。そんなものは与えてやらない。この今にもう全部用意してやるのさというような、曖昧のなさと、だからこそ分かる強さや優しさがある気がして、かっこよかった。
10-5『坊や』(譜久村・飯窪・佐藤・尾形・牧野)
個人的に待望の曲。この時期の曲を聞くと、何故かざらついた気分になる。当時の熱狂を思い出してなのか、曲自体の妖しさなのか。だけど道重のコーラスが強すぎるので、完全体のアップデートを早く観たいとも思った。あと10-5から10-6の繋ぎ方がめちゃ良かった。
10-6『大人になれば大人になれる』(生田・石田・佐藤・野中・横山)
パフォーマンスの必然として、自らの獰猛を隠さない。今回のツアーのまーちゃんはまるでそんなテーマで動いているかのよう。自らが触れ得る芸術の為に。或いは願いの形を凶悪なほどに体現し得る為に。とにかく最初のパートを歌うまーちゃんがめちゃかっこいいから観て。めちゃ観てくれ。
前半はここまで。後半へ続く。
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モーニング娘。'18『A gonna』(Morning Musume。'18[A gonna])(Promotion Edit)
モーニング娘。'14『Password is 0』(Promotion Ver.)
モーニング娘。 『愛の軍団』(Morning Musume。["GUNDAN" of the love]) (MV)
道重さゆみ 『シャバダバ ドゥ~』
彼女が見せてくれた物語。
あるいは私が目にした幻想かもしれない物語。
あるいは私達が見たい幻想の中に、道重さゆみという人がいたのかもしれないということ。
「道重さゆみ」という人。
私は、道重さんのモーニング娘。としての12年間をずっと見ていたわけではない。もちろん過去にもTVで何度か見たことあるし、検索すれば(真実ではないかもしれない)彼女の歴史はいくらでも見つけることは出来るけど。私がリアルタイムで見たのは、2013年以降の道重さんだけ。だけどこの2年間だけの私にも、彼女は様々なものを伝えてくれた。
モーニング娘。に何を捧げてきたのか、それによって彼女は何をすり減らしてきたのか。
彼女にとって何が支えになっていたのか。
どんな別の人生を想像してみたのか。
仕事を終え彼女が還る場所に何があるのか、それがどんなに大切なものであるのか。
リーダーという立場に不安を隠さなかったこと。
それでもリーダーでありたいと思うこと。
どんなリーダーであるべきかをずっと考えてきたこと。
モーニング娘。が大好きであること。
それらを飾らずにありのままに語ってくれたこと。
彼女が語ってくれた全て。前を向くだけじゃない、完璧ではない、彼女の全て。それは一人のアイドルとしての物語に綻びを生むものではない。反対にそれは、物語世界にディテールを与えるように、この幻想をより強固してくれるものであった。なぜなら彼女が語るそれらは、モーニング娘。としてステージで輝きたいという想いに全て繋がっているから。これまでに注いできた全てを、あるいは全身全霊の今この瞬間を、その姿形だけじゃない人生そのものような美しさを、彼女はライブパフォーマンスを通じて体現してくれていたから。道重さんは美しい形を持った人だけど、その真髄はやはりモーニング娘。であることなんだと思う。留めておける美しさよりもずっと完全なものがステージにはあって、彼女のこれまでの全てはこの瞬間の為にあったんだと思えるような。己が立つべきだと思う場所で、人は最も輝けるんだということを彼女から教えてもらった。その為に何をしないといけないのかということも。
ラストシングル『シャバダバ ドゥ〜』
人はなぜ物語を求めるのだろう。たぶん人生そのままの重さを抱えることは誰も出来ないから、何かに替えて語ってくれるものを求めるからではないか。『シャバダバドゥ〜』には、圧縮された時間と、モーニング娘。としての彼女の物語の完結を感じる。だけどそこには年月の重さから解き放たれたような軽さもある。そしてその軽さがあるからこそ、彼女の物語を語るものとして最も相応しい歌だと思えた。
アイドルという理想と、一人の人間が生きる現実はやはり違う。当然道重さんは人間であるから、いつかはマイクを置かないといけないし、大人だからこの物語の終わりをちゃんと告げなければいけない。だけどきっと理想のアイドルの終わりは、何も変わらず何も終わらせず、私達の前を軽快に走り去ってそのまま消えていくことなんだと思う。『シャバダバドゥ〜』とは多分その二つが重なる場所。彼女はこの長い道のりにおいて、「ありのままの自分」も「理想の中の自分」も何一つ見捨てずに、全部を引き連れてここまで来たのだ。ゆっくりとだけど、それ以外のやり方を知らないかの様な折れない強さで。その全ての結実がここにある。彼女の人生の中のひとつの物語が終わる。この完璧なラストと共に。
卒業とこれから。
大切な全ての過去を持ち寄ったって、どんな未来になるかわからない。振り返っても、過去が今だった頃の過去はない。ただ精一杯の今があるだけ。
道重さんよりも少しだけ多く生きてきた私が思うのは(あなたも感じているかもしれないが)、自分を裏切るのはいつだって他ならぬ自分だったということ。好きなものがいつの間にか好きでなくなること。道重さんは色んな才能と幸運を持った人であるけど、一番は「好きなものを好きなまま」でいることの才能じゃないだろうか。そして「好きなまま」でずっと続けていく為には、何より自分を変えないといけないということに最も自覚的な人だった。この世界に好きなものがあって、ずっと夢中になれて、苦労も厭わなくて、その為なら他のどんなことも我慢できて。そして同じ夢を見てくれる人達がたくさんいる。そんな当たり前のこと。道重さんの美しい生き方が教えてくれたのは、この世界は素晴らしいんだっていう当たり前のこと。
今はまだ寂しい。道重さんが見てきたものを同じように全部見ていたかった。「恩返ししたい」と言った彼女は今まで何を与えられてきたのか。「頼もしくなった」と言った彼女は後輩達のどんな姿を観てきたのか。それはきっとかけがえの無い素晴らしいもの。
今は悲しいけど、彼女を全てを知るには、これからのモーニング娘。を見続ければいい。きっとこれから見る光景に、道重さんの夢の続きがあると思うから。
あまりにも素晴らしい『道重さゆみの卒業』 - NAVER まとめ
TIKI BUN/シャバダバ ドゥ~/見返り美人(初回生産限定盤B)(DVD付)
- アーティスト: モーニング娘。'14
- 出版社/メーカー: UP-FRONT WORKS
- 発売日: 2014/10/15
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『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』 Berryz工房
Berryz工房 『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』 (Promotion edit ...
Berryz工房『普通、 アイドル10年やってらんないでしょ!?』についてのメモ。
誰かが歌わなければならなかったような、あるいはいつか彼女達が歌わなければならなかったのかもしれない曲。何故か分からないけど、ついに始まったという感触がある。 今まで誰もいなかった場所に、在るべき者が帰還するような、何かが始まる予感。
自分達が生きてきたことに人の言葉は借りないし、自分達を示す言葉は明確で、証は歴然とそこにあるという事の幸福と覚悟。そしてその場所から見つめる先はやはり愛なのだという確信。
なんでこんなに良い曲なんだろう。この歌詞でなければならないという確信がもう初回であって、もう見届けるしかないよという気持ち。
「それでもほら もうすぐ幕が開く」って歌詞をこんなにもカッコ良く歌えるの他にいるの?というような。動機なんかとっくに過去の遠い場所にあって、この先に何があるかも分からないけど、「アイドル10年やっちまったんだよ!」と。
熊井ちゃんの「石の上でさえ3年だよ」のところ、本当に優しく歌ってくれるんだけど、それでも迫ってくる何かがやはりあって、この重みは簡単には語れないんだとあらためて感じる。
別の人生を想いながら、長い年月を噛み締めながら、少しの感傷と過去を携えて彼女達は歌うのだけど、続ける「理由」を過去ではなく今この瞬間に求めていることにぐっとくる。だからこそ彼女達は最高にかっこいい。
過去があるから今突き進める理由を持てているのではない。振り返ったらいつの間にか前人未到の場所にいて、それは自分達の誇りであるけど、だけどもそれはこの歩みを止めない理由じゃない。「理由」を求めるのは今この瞬間であること。
間奏あけ(落ちサビ)の嗣永熊井のパート。歌い方は対照的なんだけどどちらもまさに彼女達の生き方そのもののようで、貫いてきた者の不変さ(嗣永)と、生身の人間としての可変さ(熊井)を見てしまう。特に熊井の「青春全部捧げて〜」は力強くてぐっとくる。
もう一度だけど、過去は理由じゃない。振り返ったら見える景色は自分達の誇りであるけど、だけどもこの歩みを止めない理由にはならない。理由を求めるのは今この瞬間であること。この道が正しいかは分からないけど、それは今日も自分を裏切らなかった。 「それでもやっぱ歌えば官軍」 彼女達は幸福なんだと思える。
そしてアウトロの可笑しみと微かな不穏さ。一転してコンテニューしますか?の時の音みたいになって、結局しないのかよって感じで終わっちゃう。そこには、ひとつの時代の終幕というより、今回もまたループから抜け出せなかった的なビターエンドのくたびれ感がある。少しの気だるさと共に彼女達の物語は続く。
ズッキ。
ズッキ。
在りたい理想と現実のギャップ。理想は途方もないもので、見上げるだけで挫折してしまいそうなのに、同期のエースは迷いなくその道の先を見つめている。自分だったらとっくに目標を下方修正してて、もっともな言葉で自分で自分を騙して、取り繕っているところ。
そして彼女(鈴木香音)も一見、当初のルートを逸れて独自の道を進んでいるように見える。
だけどもそれは最短ルートではないだけなのかもしれない。たとえそれが回り道であったとしても、加入にしたその時に抱いていたであろう情熱からは、彼女はこれまでもこれからも実は一度も視線を逸らしたことなど無いんじゃないかと思わされてしまう。彼女の活躍を見ていると。
「実はそれを未だに隠し持っている」どころじゃない、逃げも隠れもしない最初と同じ揺るぎない夢。
普通の女の子なら経験しなくていいようなつらい事もあったろうし、悩んでいた時期もあるだろう。それすらも大局で見れば、後退も立ち止まりもしていないんだと思わさせてくれる。強さとは何だろうと考えたとき、この答えは範馬勇次郎に「不純だ」と怒られそうだけど、彼女の中に「強さ」というものを見た気がする。
今が決して最善手であるとは思えないし、いつでも最良の手を打てるわけじゃない。だけども遥か先に向かって、有効な手ではなくてもたとえ悪手であっても、ひたすらに「最善であると願って」打つ手であること。なげやりではなく、目先の有効性にとらわれることが愚かであると思えるほど、それは「決して負けない」姿勢。強さとはなんだろう。
道重さんから聞く、ズッキが加入当時のダンスレッスンでひとりだけ出来ていなくて、泣きながら必死にダンスについていった話は、努力してきた人間なら当たり前にあるような話かもしれないけど、何故か泣けてくる。勇気が出てくる。
あれから変わっていったことはたくさんあるだろうけど、変わらなかったこともきっとある。
『大人なのよ!/1億3千万総ダイエット王国』 Berryz工房
Berryz工房『大人なのよ!/1億3千万総ダイエット王国』 の感想。
Berryz工房『1億3千万総ダイエット王国』Berryz Kobo[130 million Diet ...
『大人なのよ!』
Berryz工房ほど、知った風な大人達の視線の、このままでいいの?この先どうするの?って空気に晒され続けてきた女の子もそういないと思う。
彼氏にはどんなタイプがいいか
そんなの私に押し付けないで
好きになった人が好きよ
付き合うのは私なの
サビの歌詞が刺さるのは、この人生を決めたのは私だし、この先も私の好きにやるんだという彼女達の強い思いが見えるからではないか。
『1億3千万総ダイエット王国』
例えば「年がら年中」という歌詞を狂ったように繰り返しているのがこの曲の最初のインパクトだと思うけど、その壊れっぷりが、最後には同じく繰返される「お願い」という言葉の切実さに転換されている。世界に対する切実な問い。私たちはどういう世界の中に生きているのだろう。その事と、まさにその世界の中で生きている私がいる。異様な空気に飲込まれながら病的に欲求を生む私を否定して、私は私を救えない。だけどそれでもこの先に愛があるのだと叫ぶのだ。この世界に意味があってほしいと願うのだ。
もちろんこれは自分の人生を真剣に悩みもせずに、絵空事ばかりを考えているいちファンの妄想だけども。ライブを見るまでは、パフォーマンスにおいてもこの感想に近いような、『大人なのよ!』であれば背負ってきたものの「これまで」と「今」を示すような力強さがあって、『1億3千万総ダイエット王国』であれば、異様さを放ちつつもそれと対峙するような悲哀があると思っていた。でも実際に見た雰囲気ではこれとは違っていて、どっちかといえばテクニカルな方向で、ストレートで且つ実直に歌い上げていたような気がする。歌詞である以上に言葉を深追いはしないぞというような姿勢。それがシンプルにすごくかっこいいなと思えた。10年選手としての手慣れた余裕もあり、その貫禄がライブでの迫力を後押ししている気がした。
皮肉めいた言葉を露骨に置きにいくのがつんく歌詞のデフォルトだとしても、世界に対しアイロニーでもって正面切って立ち向かうのは、やはりBerryz工房が一番似合うのではないか。『大人なのよ!』『1億3千万総ダイエット王国』のパフォーマンスを観たときに、少なくとも「今の」Berryz工房は誰よりもそうではないかと感じた。
世界に牙を向けるために作られた武器(言葉)をその身に搭載されても、それを決して自ら使う気はない普通の女子。搭載された武器に気づかず(あるいはフリをしているかもしれないが)、流行に敏感で周りが常に憧れるような、ただかっこいい女性でありたいと願うごく普通の20代。かつての表現者たちの様に、傍観者でも体現者でもなく、自らが気づくことなく無知であるままにアイコンでい続けようとする姿こそが、堂々としながらどこまでも軽やかな彼女達のパフォーマンスを生んでいる気がした。
彼女達の発するすべてに、何が発射されて誰が爆撃にあうかなんて知らない。ただ好きなように演じてかっこよく決めたい。そんな思いがあるからこそ、言葉に引っ張られて鈍重になったり、世界の動じなさに萎縮してしまうこともなく、シンプルにまっすぐ歌が届いて、アイロニーが突き刺さるのだと思うのだ。名曲。
『あまちゃん』
例の紅白出演は物語世界から飛び出してしまったので別で考えるとして(あれはあれで最高に素晴らしかった)、本編の方って、大人たちの憑落としはあれど、若者たちは、これといった契機もなく、なんとなく売れて(認められて)、何かが結実したとは言えないまま、その先の目標も見えないままだったような気がする。それどころかそのままフェードアウトしていくことを匂わせてもいた。種市先輩(福士蒼汰)がそうであったように、若者たちはふらふら生きていて、誰かが咎めることもなく、それでいいんだと大人たちは送り出して/受け入れているようにも見えた。これは何故だろうとずっと思っていた。
僕は、『あまちゃん』からハロプロに入ったようなファンなので(『あまちゃん』を好きになり、物語内のアイドル役の子がラジオでモーニング娘。の良さを超熱く語っていた)、気付かなかったけど、これは現実のアイドルたちに対する、そしてそのファンたちに対してのある意味で救済の話ではないのだろうか。
アイドルが生きる場所は、可愛ければ良いでもなく、スキルが有れば良いというところでもない。ものさしなんてないしマニュアルも存在しない。彼女たちがいるのは、己の価値と時間をチップに変えて、ひたすらに「運」がくるのを待つような世界だ。自分の存在全てを削るように。そこで引き抜いた「上がり」がたった一瞬の決して永遠ではないものだと知っていても彼女たちは続けている。そしてファンは、きわめて勝手な立場で、彼女たちの人生を考えたりするのだろう。彼女たちのこの先の人生までをも支えられないこと。あるいはこれからどうするのかという度が過ぎた心配を。(自分たちの人生の方がままならないかもしれないのに)。
僕の好きなハロプロのメンバーや、例えば研修生であったり、まだそれだけでは生計が難しいような規模で活動しているアイドルたち。僕らは思い上がりも甚だしいけど、彼女たちのことを思うのだ。認められなかった先の生き方を心配したり、次の生き方を考えないといけない有限性に悲しんだりという風に。
だけども彼女たちにもアイドル以外の別の世界があり、アイドルではない彼女たちを認めてくれる/支えてくれる人たちがいる。誰かにとって北三陸があったように、誰にとっても地元があるように。彼女たちが、ふらふらしてもいいんだ、何かの結実を求めてたとえ叶わなくても、世界は多様であり、この過程こそが豊かな人生の中のかけがえのない一つであるんだと、思ってくれることを何よりも願う。
『あまちゃん』最終回、アキ(能年玲奈)とユイ (橋本愛)はお座敷列車にて潮騒のメモリーズ(アイドルユニット)の復活を実現させる。結成前から彼女たちの追っかけであったアイドルオタクのヒビキ(村杉蝉之介)は当然とばかりにお座敷列車に乗っていたが、最後の最後、列車に乗れなかったアキの父親(尾美としのり)にチケットを譲るのだ。アキとユイ、彼女たちのアイドル活動はこの後も続くかもしれないが、最終回のその先の彼女たちを僕たちは見ることはできない。もしかしたらあれは彼女たちの最後のステージだったかもしれない。でもその先は僕らやヒビキではなく、他の誰かが見守ってくれるのだろう。彼女たちを支える他の誰かがいる、だから僕らは安心して最後かもしれない「今」を見届けることができる。ヒビキの行動にはそんな思いがある気がした。
きっとそういうことなんだろう。僕らは思い上がりをやめて、彼女たちの「今」を目一杯応援しよう、そんな風に思うのだ。
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