「ちみがそ」の宿題

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『あまちゃん』

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NHK朝の連続テレビ小説あまちゃん』。

例の紅白出演は物語世界から飛び出してしまったので別で考えるとして(あれはあれで最高に素晴らしかった)、本編の方って、大人たちの憑落としはあれど、若者たちは、これといった契機もなく、なんとなく売れて(認められて)、何かが結実したとは言えないまま、その先の目標も見えないままだったような気がする。それどころかそのままフェードアウトしていくことを匂わせてもいた。種市先輩(福士蒼汰)がそうであったように、若者たちはふらふら生きていて、誰かが咎めることもなく、それでいいんだと大人たちは送り出して/受け入れているようにも見えた。これは何故だろうとずっと思っていた。

僕は、『あまちゃん』からハロプロに入ったようなファンなので(『あまちゃん』を好きになり、物語内のアイドル役の子がラジオでモーニング娘。の良さを超熱く語っていた)、気付かなかったけど、これは現実のアイドルたちに対する、そしてそのファンたちに対してのある意味で救済の話ではないのだろうか。

アイドルが生きる場所は、可愛ければ良いでもなく、スキルが有れば良いというところでもない。ものさしなんてないしマニュアルも存在しない。彼女たちがいるのは、己の価値と時間をチップに変えて、ひたすらに「運」がくるのを待つような世界だ。自分の存在全てを削るように。そこで引き抜いた「上がり」がたった一瞬の決して永遠ではないものだと知っていても彼女たちは続けている。そしてファンは、きわめて勝手な立場で、彼女たちの人生を考えたりするのだろう。彼女たちのこの先の人生までをも支えられないこと。あるいはこれからどうするのかという度が過ぎた心配を。(自分たちの人生の方がままならないかもしれないのに)。

僕の好きなハロプロのメンバーや、例えば研修生であったり、まだそれだけでは生計が難しいような規模で活動しているアイドルたち。僕らは思い上がりも甚だしいけど、彼女たちのことを思うのだ。認められなかった先の生き方を心配したり、次の生き方を考えないといけない有限性に悲しんだりという風に。

だけども彼女たちにもアイドル以外の別の世界があり、アイドルではない彼女たちを認めてくれる/支えてくれる人たちがいる。誰かにとって北三陸があったように、誰にとっても地元があるように。彼女たちが、ふらふらしてもいいんだ、何かの結実を求めてたとえ叶わなくても、世界は多様であり、この過程こそが豊かな人生の中のかけがえのない一つであるんだと、思ってくれることを何よりも願う。

あまちゃん』最終回、アキ(能年玲奈)とユイ (橋本愛)はお座敷列車にて潮騒のメモリーズ(アイドルユニット)の復活を実現させる。結成前から彼女たちの追っかけであったアイドルオタクのヒビキ(村杉蝉之介)は当然とばかりにお座敷列車に乗っていたが、最後の最後、列車に乗れなかったアキの父親(尾美としのり)にチケットを譲るのだ。アキとユイ、彼女たちのアイドル活動はこの後も続くかもしれないが、最終回のその先の彼女たちを僕たちは見ることはできない。もしかしたらあれは彼女たちの最後のステージだったかもしれない。でもその先は僕らやヒビキではなく、他の誰かが見守ってくれるのだろう。彼女たちを支える他の誰かがいる、だから僕らは安心して最後かもしれない「今」を見届けることができる。ヒビキの行動にはそんな思いがある気がした。

きっとそういうことなんだろう。僕らは思い上がりをやめて、彼女たちの「今」を目一杯応援しよう、そんな風に思うのだ。

 

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あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX3<完>

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