「ちみがそ」の宿題

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『チェイサー』 ナ・ホンジン

 

チェイサー [DVD]

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 『チェイサー』(2009年) 監督:ナ・ホンジン

 

デリヘルを経営している元刑事のジュンホは、店の女の子たちが相次いで失踪する事態に見舞われていた。やがて最後に会ったと思われる客の電話番号が同じ事に気づくジュンホ。そして、その番号は直前に送り出したデリヘル嬢ミジンの客とも一致していた。ほどなくミジンとの連絡が取れなくなり、心配したジュンホはミジンの行方を追う。すると、通りで不審な男と遭遇する。そして、男が問題の電話番号の持ち主であることを突き止めたジュンホは、格闘の末に男を捕縛、2人はそのまま駆けつけた警官に連行されていくのだが…。
<allcinema>

 

投げれば着地するように。触れれば付着するように。必ず何かは何かに伝達する。全力疾走し、追いついて、もうダメだって倒れて、ゼイゼイ言って吐き出す息は、いったい何が誰が受け止めよう。汗は、シャツが吸い込み、あるいは地面に落ちる。それとも霧散して街そのものが浴びているのだろうか。汗は誰が受け止めよう。血はタイルを伝わり、室内を泳ぎ、やがてその動きを止める。後で誰かが拭き取るのか?それでも壁や床は血を受け止めたのだ。空間に血は通過したのだ。さあ血は誰が受け止めよう。死体は埋められた庭を越えて、地中を通過して、街に侵食している。死体が埋まっているということをお前は知らなくても、何かは腐敗よりもはやく死を受容する。死は誰が受け止めよう。誰も知らない死は。お前の吐いた言葉も、吐息も汗も血も死体も怒号もそれだけじゃ終わらない。必ず何かは何かに伝達する。あの街はすべてを吸い込む。あの坂はすべてを受け止めてあの坂の顔をしている。雨を受け止めない地面はない。
この映画に変化があるとするならば、それは街である。坂道である。寄り掛かる住宅どもである。いやそうじゃない、我々(鑑賞者)が街の認識を改めたのだ。最初、教会(またはそれに付随するもの連想するものすべて)は殺人が行われる場所であるという被害者として写る。だがしばらくしてそれは、まったくの誤りであることに気付くだろう。決定的なのは中盤。犯人宅(瀕死の女と死体を監禁している)のものと思われる鍵を見つけた主人公は、一軒一軒しらみつぶしに鍵を試して犯人宅を探そうと考え、真下から坂を見上げる。そこでカメラが捉える坂。中腹にみえる教会の十字架の赤い光。不穏に輝く赤い光。まるで(どこかで聞いた)その下に眠る人の血を吸った植物が赤い花を咲かすように、私はどうして坂があんなツラをしているのかを思い知る。善意と悪意を隔てなく上塗りするような愚鈍さで、痛覚を忘れた無残さで、坂はその表情を(事件を追う彼らを素通りして)我々に向けている。私はあの街を見つめる。ここで起きたすべてのことは、彼らが知らないすべてのことは、彼らが忘れたすべてのことは、過去と現在が隔てなく在るように、つまりは私がみたあの街である。

 

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