「ちみがそ」の宿題

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『大人なのよ!/1億3千万総ダイエット王国』 Berryz工房

 

Berryz工房『大人なのよ!/1億3千万総ダイエット王国』 の感想。 

 


Berryz工房『大人なのよ!』 - YouTube


Berryz工房『1億3千万総ダイエット王国』Berryz Kobo[130 million Diet ...

 

『大人なのよ!

Berryz工房ほど、知った風な大人達の視線の、このままでいいの?この先どうするの?って空気に晒され続けてきた女の子もそういないと思う。

彼氏にはどんなタイプがいいか

そんなの私に押し付けないで

好きになった人が好きよ

付き合うのは私なの

サビの歌詞が刺さるのは、この人生を決めたのは私だし、この先も私の好きにやるんだという彼女達の強い思いが見えるからではないか。

 

 

13千万総ダイエット王国』

例えば「年がら年中」という歌詞を狂ったように繰り返しているのがこの曲の最初のインパクトだと思うけど、その壊れっぷりが、最後には同じく繰返される「お願い」という言葉の切実さに転換されている。世界に対する切実な問い。私たちはどういう世界の中に生きているのだろう。その事と、まさにその世界の中で生きている私がいる。異様な空気に飲込まれながら病的に欲求を生む私を否定して、私は私を救えない。だけどそれでもこの先に愛があるのだと叫ぶのだ。この世界に意味があってほしいと願うのだ。

 

 

 

もちろんこれは自分の人生を真剣に悩みもせずに、絵空事ばかりを考えているいちファンの妄想だけども。ライブを見るまでは、パフォーマンスにおいてもこの感想に近いような、『大人なのよ!』であれば背負ってきたものの「これまで」と「今」を示すような力強さがあって、13千万総ダイエット王国』であれば、異様さを放ちつつもそれと対峙するような悲哀があると思っていた。でも実際に見た雰囲気ではこれとは違っていて、どっちかといえばテクニカルな方向で、ストレートで且つ実直に歌い上げていたような気がする。歌詞である以上に言葉を深追いはしないぞというような姿勢。それがシンプルにすごくかっこいいなと思えた。10年選手としての手慣れた余裕もあり、その貫禄がライブでの迫力を後押ししている気がした。

皮肉めいた言葉を露骨に置きにいくのがつんく歌詞のデフォルトだとしても、世界に対しアイロニーでもって正面切って立ち向かうのは、やはりBerryz工房が一番似合うのではないか。『大人なのよ!』『13千万総ダイエット王国』のパフォーマンスを観たときに、少なくとも「今の」Berryz工房は誰よりもそうではないかと感じた。

世界に牙を向けるために作られた武器(言葉)をその身に搭載されても、それを決して自ら使う気はない普通の女子。搭載された武器に気づかず(あるいはフリをしているかもしれないが)、流行に敏感で周りが常に憧れるような、ただかっこいい女性でありたいと願うごく普通の20代。かつての表現者たちの様に、傍観者でも体現者でもなく、自らが気づくことなく無知であるままにアイコンでい続けようとする姿こそが、堂々としながらどこまでも軽やかな彼女達のパフォーマンスを生んでいる気がした。

彼女達の発するすべてに、何が発射されて誰が爆撃にあうかなんて知らない。ただ好きなように演じてかっこよく決めたい。そんな思いがあるからこそ、言葉に引っ張られて鈍重になったり、世界の動じなさに萎縮してしまうこともなく、シンプルにまっすぐ歌が届いて、アイロニーが突き刺さるのだと思うのだ。名曲。

 

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『あまちゃん』

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NHK朝の連続テレビ小説あまちゃん』。

例の紅白出演は物語世界から飛び出してしまったので別で考えるとして(あれはあれで最高に素晴らしかった)、本編の方って、大人たちの憑落としはあれど、若者たちは、これといった契機もなく、なんとなく売れて(認められて)、何かが結実したとは言えないまま、その先の目標も見えないままだったような気がする。それどころかそのままフェードアウトしていくことを匂わせてもいた。種市先輩(福士蒼汰)がそうであったように、若者たちはふらふら生きていて、誰かが咎めることもなく、それでいいんだと大人たちは送り出して/受け入れているようにも見えた。これは何故だろうとずっと思っていた。

僕は、『あまちゃん』からハロプロに入ったようなファンなので(『あまちゃん』を好きになり、物語内のアイドル役の子がラジオでモーニング娘。の良さを超熱く語っていた)、気付かなかったけど、これは現実のアイドルたちに対する、そしてそのファンたちに対してのある意味で救済の話ではないのだろうか。

アイドルが生きる場所は、可愛ければ良いでもなく、スキルが有れば良いというところでもない。ものさしなんてないしマニュアルも存在しない。彼女たちがいるのは、己の価値と時間をチップに変えて、ひたすらに「運」がくるのを待つような世界だ。自分の存在全てを削るように。そこで引き抜いた「上がり」がたった一瞬の決して永遠ではないものだと知っていても彼女たちは続けている。そしてファンは、きわめて勝手な立場で、彼女たちの人生を考えたりするのだろう。彼女たちのこの先の人生までをも支えられないこと。あるいはこれからどうするのかという度が過ぎた心配を。(自分たちの人生の方がままならないかもしれないのに)。

僕の好きなハロプロのメンバーや、例えば研修生であったり、まだそれだけでは生計が難しいような規模で活動しているアイドルたち。僕らは思い上がりも甚だしいけど、彼女たちのことを思うのだ。認められなかった先の生き方を心配したり、次の生き方を考えないといけない有限性に悲しんだりという風に。

だけども彼女たちにもアイドル以外の別の世界があり、アイドルではない彼女たちを認めてくれる/支えてくれる人たちがいる。誰かにとって北三陸があったように、誰にとっても地元があるように。彼女たちが、ふらふらしてもいいんだ、何かの結実を求めてたとえ叶わなくても、世界は多様であり、この過程こそが豊かな人生の中のかけがえのない一つであるんだと、思ってくれることを何よりも願う。

あまちゃん』最終回、アキ(能年玲奈)とユイ (橋本愛)はお座敷列車にて潮騒のメモリーズ(アイドルユニット)の復活を実現させる。結成前から彼女たちの追っかけであったアイドルオタクのヒビキ(村杉蝉之介)は当然とばかりにお座敷列車に乗っていたが、最後の最後、列車に乗れなかったアキの父親(尾美としのり)にチケットを譲るのだ。アキとユイ、彼女たちのアイドル活動はこの後も続くかもしれないが、最終回のその先の彼女たちを僕たちは見ることはできない。もしかしたらあれは彼女たちの最後のステージだったかもしれない。でもその先は僕らやヒビキではなく、他の誰かが見守ってくれるのだろう。彼女たちを支える他の誰かがいる、だから僕らは安心して最後かもしれない「今」を見届けることができる。ヒビキの行動にはそんな思いがある気がした。

きっとそういうことなんだろう。僕らは思い上がりをやめて、彼女たちの「今」を目一杯応援しよう、そんな風に思うのだ。

 

あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX1

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あまちゃん 完全版 Blu-ray BOX 2(Blu-ray Disc)

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あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX3<完>

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